なかなかネットに繋がらず繋がれば出会った人たちに連れて行かれる充実した時間を過ごしています。
シンセン、広州に板間も又とても充実しており、こちらも近いうちに書きたいと思います。
さて、今は中国湖南省は鳳凰というところにいます。
小学生以来泊まったユースホステルにいますが、非常に面白い。
というのは、コミュニケーションが頻繁にとれるのですね。意外と英語を話せる人も多く、中国人はもちろんのこと、オーストラリアン、スパニッシュなど様々話すことができました。もっぱら一緒にいるのはもちろん中国人で、先ほどまで、5回目の一緒の食事を共にしてきました。
いよいよ出されたのが(ようやく出てきたと感じましたが)戦争の話。僕は僕が色々知った中での話をし、彼らも又その一部には納得した上で、我々の未来について話していました。
僕はもっぱらASIANを出します。僕らの世代が日本人というこだわりだけを持たずもっと広い視野で考えること、つまり日本人である以上にASIANであるということ。僕らの次の世代はより広いワールドで物をとらえられたらいいなといつも思っています。
彼らに言わせれば、そんなことを思っている日本人はいないと思っていたと言いますが、でも僕はこれだけ海外で活躍してきた日本人達を知っているわけで、話を聞いてきたわけで、それがいかに現実的な物であるかを切に感じる訳です。
やっぱり、日本にはまだまだ戻らずこっちの人たちともっと関わりたい、感じる次第です。
シンセン3日間の滞在中は実は、日本人の方の家に泊めていただいていました。
ベトナムを見学しに来ていた方からご紹介いただいた「K」さん。
現地の日本の方とはあまり関わらず、とことん中国の方と向き合って会社を経営されている方。
こちらがKさんです(笑)

とても親切にしてくださりまして、シンセンの発展している町並を紹介、その脇にある、ドローカルな地域も一緒に連れて行っていただきました。
「髪、切ろっか?」の一言にローカルの床屋に連れて行っていただいたのですが・・・

あぁ、何故、僕のお股に生姜が・・・。
しっかり遊んでいただきました!
料理の味は超一流!!のKさん会社の従業員に作っていただいた麻婆豆腐は、正直今後もこの味を越えることはあるのか!?という旨さでした!!

美味しい物を食べ、様々な場所にも連れて行っていただき、そして貴重な時間をさいていただいたのですが、多くのことを教えていただきました。
その中で、痛感する事も多々ありました。
「君はこの旅でお世話になった方々にどうやって恩返しをするの?」
この旅はブログを見ている方ならご存じのように、本当に多くの方のお力添えがあって、初めて成立しています。
貴重なお時間を割いてお話をしてくださる方、食事をご一緒してくださる方、家に泊めてくださる方、なんと、働く環境を提供してくださる方、ご紹介をしてくださる方、そして応援してくださっている方々。
正直、常にベストな対応ができてはいなかったのは事実です。
特に旅の前半は、結局何をどうしたら良いか自分自身でもわからず、碌な対応ができないまま終わっていったこともたくさんありました。
これは、日本を出てから500日目ということもあり改めて振り返っての猛省でもあります。
日本で社会経験を積んだからある程度、問題なくいけるかと浅はかにも思っていたのですが、それはあくまでも組織という物があり、周りのためにも責任というものがあったからこそなんとか成り立ってきたのです。
今は全ての責任は自分にあり、怠った物は全て自分に返ってきます。
この旅であれば、「何もしない」と言うことが最も恩を仇で返すことです。
できることはまずここからしかありませんが、こちらから旅の状況をきちんと報告すべく、メルマガから開始していきます。
ただただ、自分に焦って走り回ってはいましたが、このシンセンで感じたことを一つのブレイクスルーとすべく、今後とも進めていきます。
3日間、じっくりと僕に考える時間と問いかけをしてくださったKさんには本当に感謝の次第です。
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さて、
それにしてもシンセンの開発具合は驚きです。
30年前にはほとんど畑しかなかった地域だったようですが、現在は区画整備がされた最先端の都市作りがされていっています。

中心地域を抜けるとローカルエリアを見ることもできます。

正直、Wikipediaをみても、
中国本土の大都市の中では最も所得が高い[1]。1980年に経済特区に指定されて以来、莫大な外国投資を誘致し、製造業が発達しているが、近年は情報通信産業やサービス業も急速に発展している。
2010年3月にシティ・オブ・ロンドンが公表した金融センターランキングによると、世界第9位の金融センターであり、アジアでは、香港、シンガポール、東京に次ぐ第4位である
(Wikipediaより)
と発展が著しいことこそ記載はされているのですが、イメージわかなかったんですよね。
香港の方々にも、シンセンは今や工業都市としてだけじゃなくて、商業都市としてもどんどん発展していると聞いてはいたのですが、実際に目で見てびっくり。
片道5車線もある道路の脇には、金融エリア、商業エリア、レジャーエリアとあり、それぞれが実に綺麗な建物でした。(建設中の物も多々あり。)
シンセン在住のKさん(僕が今シンセンで泊めていただいている恩人!)からご紹介いただいた、シンセンのシャングリラホテル内で唯一の日本人として活躍中の三輪谷 哲典さんにお会いしてきました。
30歳イケメン!
ホテルのロビーで待っていると営業帰りの三輪谷さん登場、スーツが決まっています!

さて、ホテルのカフェに座ったのでお仕事の一部を拝見することができました。
時折困っている日本人のお客様を見つけると、そのケアにあたる三輪谷さん。
それもそのはずで、営業マンとしてシャングリラホテルに入社されたものの、唯一の日本人である三輪谷さんは、営業だけではなく、こちらに滞在される日本人の方の対応を殆ど行われているのです。
もともと海外に関心を持ったのは高校卒業旅行で行った「グアム」。
三輪谷さんにとっては、食べ物、町並、人間、全部が違う。それがとっても新鮮だったようです。
「実はホントに海外に出たいというきっかけはそれだけだったんですよね(笑)」
日本以外の国を見たい!という想いは海外経験のあるご両親から、『日本で社会経験をすることの重要性』の説得もあり、社会人2年を日本で経験後、はれてカナダに2年間語学留学を決意。
帰国後、自分のしたいことは、海外でサービス・営業に関する仕事と改めて感じ、当時最も関心のあったシャングリラグループに入社、そして現在の仕事に至るわけですが・・・
「英語を学んできたのですから、英語圏のホテル勤務が良かったのですが、当時、シャングリラグループ内で営業が必要だったのはシンセンのホテルしかなかったのです。とはいえ、これも良い経験なので行こうと。
でも、中国苦手だったんですよ、最初。今まで見てきていたニュース等で良いイメージがなかったので。
ところが、現地に入って見て、経験して初めて『今まで聞いてきた情報と異なることを知った』んです。気がつけば今では正反対のイメージですよ(笑)」

ご自身の持っている力は営業。
現在は、ここでなければならないというわけではなく、自分の持っている力を発揮できる場所でどんどんチャレンジしていきたいとのこと。
将来他の国でお会いすることもあるかもしれません。そんなとき、又その国でのイメージと実際の現地との違いを聞いてみたいなと思う次第でもあるわけです。
香港最終日にお会いさせていただいたのがHopewill堀代表からのご紹介いただいた、華南ワークスの松本社長。
予定の関係もあり、お酒と共に夕食をご一緒させていただく中でお話を伺ってきました!


じーっくりとお話を伺えたのですが、
今回は海外というフレーズもそうなのですが、それ以上に行動力のきっかけという点で非常に興味深かったです。
人が行動をするきっかけは、もちろん自分の力もありますが、誰かがいたからその壁を越えられるのかなと感じます。
そう思ったのは、松本さんの大学時代の時の話を伺っていたんですね。
「大学1,2年はとにかく腐っていた。だから3年生になったら厳しいゼミにいこうと。ゼミではリーダーを決めるんだけど、今までくさってた自分ができるわけ無いと思った。でもそんなときに、年は上だけど同期の韓国人が自分の話を聞いてくれて、『お前がリーダーをやりたいんだったら俺が全力で協力する!』って言われたんだね。もうそれが嬉しくて嬉しくて。」
最終的には、先輩の支援もあったりと、ゼミのリーダーになったのですが、それがきっかけで『組織と人を一体化させたい』という想いが強くなったそうです。
就職活動時の資料請求はなんと500枚。
その中から色々考えて人材紹介会社で働くようになるわけですが、それも又、学生時代の経験があったからこそなのだと感じます。
海外での苦労等についてはこちらの記事に詳しく記載されていますが、その原動力とは何か、今回とても考える時間となりました。
ただ、先の韓国人の仲間の助けにもあるように、まずは声に出して想いを伝える、これが又大切だと感じる訳です。
松本兄貴!ありがとうございました!
昨日は東洋警備香港社長で「香港柔道の父」と呼ばれる岩見武夫さんと香港生まれのご子息龍馬さん(東洋警備香港 営業部長)にお会いさせていただきました。

岩見さんが最初に香港に来られたのが1962年。以来50年近く香港と関わりがあるんですね。息子の龍馬さんが31歳で、香港生まれ香港育ち(途中日本、アメリカ、中国あり)のトリリンガルの和僑2世。
香港に来られた理由等は、「これ読みなさい」と頂いた、数々の取材記事。僕は旅の前にNNAの記事を読んでいました。
ですから、質問は一つ。
「我々20代の日本の若者に対してこれから生き抜く上でメッセージをいただけませんか。」
昔日本は貧乏だった(当時1960年頃)。だから海外の恵まれた生活にあこがれたし、海外志向が強かった。でもVISAなんて当時簡単にとれないんだよ。留学だってそうそう簡単にできるもんじゃない。
だから、苦労したんだよ。
出るなら出るで覚悟を決めなきゃいかん。
あなたにしてもそうだし、もし海外で商売していくつもりがあるのなら、一旗揚げてかえってくるなんて考えじゃいかん。
生涯かけてやっていく覚悟を持たないと。
それこそ、2代、3代と続けてやるぞという覚悟で。
特技などがあるといい。柔道でもいいし、ようするに精神的なよりどころを一つ持っていると良い。
人生は挫折やきついの連続。とはいっても飯は食わなきゃいかんし、食わさなきゃいかん。リフレッシュしてがんばれるよりどころと楽しみを自分から求める精神を心がける必要があるわな。
息子は自分にとっては集大成だよ。
2代、3代でドリームを実現するスパンの長さを考えてみなさい。
いかがでしょうか。
僕などは、昨今はIT系の仕事をしていたこともあり、めまぐるしい変化、次から次へ変わるような心持ちになっていたので、とてもこの言葉はずしんときました。
続けて追加で聞いてみました。
「20,30代の頃はそのようなお考えをお持ちでしたか?」
んなことはない。
20代はがむしゃらに学んでいた。武道にしろ、言葉にしろ、要領にせよ。
30代は冒険だ。
この学び、じっくり考えてみたいと思います。
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何かとpanasonicさんのご紹介にご厄介になっております。いつもありがとうございます!
さて、お昼は龍馬さんと彼女と3人でご一緒、夜は柔道館の方へお邪魔させていただいた岩見さんとの一日でした。

上海で知り合った美人の学生をしている彼女(うらやましい)とは、英語でやりとりだそう。
普通後(北京語)の彼女とやりとりするよりは、英語の方がニュアンスが伝わる模様。
ちなみに学生卒業後、何になりたいとの質問には、「働いてお金持ちになりたい。」
改めて中国に来たことを実感しました^^
さて、こちらは道場。
異国情緒漂います。片言の「マテ」、「オネガイシマス」。
香港柔道界では、人種を問わずもはや伝説の方なのです。

↑麻酔医のDr.Johnさん。