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16歳から仕事開始!6言語を操る男の波乱万丈記 上野氏

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 PCソフトのライセンス販売、韓国コンビニ業界への進出、まぐろの買い付け、便利屋、レストラン経営・・・と、この人のこれまでの活動を聞いたら、器用な人なんだろうなと思わずにはいられない。

 今回紹介するのは、現在バリに住んで13年、買い付け代行業PT.KusumaDewi代表であり、居酒屋「上野」のオーナー上野氏。

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夜間学校に通いながら料理屋で働く日々
 中学を卒業した上野氏は、夜間の高校に通いながら料理屋で働き始める。実家も料理屋であるから、自身はそれを継ぐものだと思っていたという。

「ところがいざ、父親とその話をしてみたら継ぐつもりがあったとは知らなかったと。ですから結局的にはついではいませんね。むしろ夜間高校で知り合った友人がもっていたPCに興味がわきました。」

 その後、いくつかの仕事を経験しながら高校卒業後、友人の父親に代表になってもらいPCの趣味からプリント基板の設計会社を友人と興す。もちろん高校で習ったわけではないから独学だ。友人の親に代表権は持ってもらったものの、上野氏にとってこれが初めての起業となる。その時18歳であった。

 プリント基板のビジネスは上手くいっていたものの、時代はちょうどアナログ設計からデジタル設計の時代に移る。それは、プリント基板からICチップに移っていったことを意味する。

 「CADを使わせてくれる会社があったので、その際に転職しました。ただCADのマニュアルというのは当時非常に難しかったのですね。もちろん私自身初めて触るものだということもありますが。そこで、自分用のマニュアルを作ったのですが、それが社内で話題になって、インストラクターなども行うようになりました。」

彼は、この後アメリカに向かうことになる。

アメリカ、そこは学歴差別のない結果重視の国
アメリカへの憧れは昔からあった。ジョンパンチ、超人ハルク。それらを生み出したアメリカという町にチャンスがあれば一度はいってみたい。そんな中、チャンスは突然やってきた。

「まだ、日本でAPPLEが流行る前の話ですが、ソフトの日本語化をしてほしいという依頼が来ました。私は当時、英語は話せませんから翻訳家と現地エンジニアの中間をとりもつ役でした。要するに専門用語など訳しにくいものの意味を伝える役割ですね。」

 この仕事が終わってから、又アメリカに戻る。彼にとってのアメリカとは、日本とは決定的に違うものがあったという。

「今でもそうですが、20年も前の日本といえばとにかく学歴差別が凄かったです。ところが、ここアメリカは結果主義。どんな学歴であろうがとにかく結果が出ればみとめてもらえました。それって凄く嬉しいですよね。」

 日本のソフト会社で役員になったのを機会に自身の会社を立ち上げ、仕事の合間に自分の会社では、アメリカと日本を行き来しライセンス管理をする。これらのライセンスには、その後日本で流行るAPPLEのソフトも多く、商社が買い付けによく訪れたという。肝心の英語は、この半年間で自己流英語をマスターしていた。

韓国コンビニ界で初のPOSシステムを導入
 彼の活動は、その後韓国へ進むことになる。かつての仕事仲間の韓国人とコンビニエンスストアの経営に乗り出すためだった。

「韓国人の彼とは折半で5000万円で既存にあった6店舗のコンビニエンスストアを買収しました。私は当時お金に余裕はなかったですから、親にお願いして借りましたよ。申し訳ないと思いましたよね。」

 1年後、このコンビニはフランチャイズが成功し、31店舗まで拡大する。

「当時はまだ韓国のコンビニ業界は発展していなかったのでチャンスも多かったです。日本では既にセブンイレブンにポスシステムを導入して大きくなりつつありましたが、ここ韓国ではアメリカ経営のセブンイレブンですからまだない。POSシステムや物流システムの枠組みは日本をまねて導入しました。これは韓国でも最初上手く回りましてね。所がですよ、ライバル業種からの圧力で流通システムが壊れてそのまま、日本に帰ってきましたよ。」

 買収の話なども来ていたそうだが、断った結果、メーカーからの商品がストップされるという結果を生んだ。

「メーカーからの商品は卸してこないですし、もう一つ問題がありました。フランチャイズをする前からの取引メーカーからの販売担当者のお願いに、各店主が応えてしまっていたんですね。ですからPOSを通る前にお金はエプロンのポケットの中へ直接と。流通システムはそうやってあっという間に崩壊しました。ご存知の方もいるかもしれませんが、韓国では会社をつぶすと逮捕なんですよ。パートナーに日本に帰ることを勧められ帰国となりました。彼がどうなったかはわかりませんでしたが、数年ぶりにあったときは元気そうでしたよ。」

 店舗拡大、見た目では大もうけをしていそうにも見えるがフランチャイズ化、短期間ということもあり、両親から借りたお金は返す事ができず、その他の借金返済に1年間を費やすことになる。

27歳、夜はタクシードライバー、昼は運送屋の二重生活
 ここまでの経過で、改めて読者の皆さんに伝える必要があるのは、この時、彼はまだ27歳だということ。大学卒業であれば、5年目の若手といった位置にあたる。
 
 タクシードライバーを選ぶに当たったきっかけは、単にお金が良かったからだという。今の時代では、儲からないイメージが少なからずあるが、彼はそうではなかったという。

「昼は仕事が少ないですから運送屋で働くんですよ。終わったらタクシードライバー、睡眠時間は待機中か、運送屋の帰りの道のりですね。長距離の時は手当ても多いのでやりましたよ。1年間死ぬ気で働いて、700万円は稼ぎました。借金の返済目処も立ったので、流石に1年でやめましたが。」

まぐろと伊勢海老を追い求めてバリの地へ
 借金返済後、彼が選んだ次なる道は、食材卸し会社。プリント基板立ち上げ時の友人の誘いもあり勤めることに。自身の性格と折り合わず3ヶ月で退職後、当時の取引先で取締役として働く。ところが会社は連鎖倒産のあおりを受けることに。

「売り先の倒産で、連鎖倒産です。そのため知り合いの会社も連鎖倒産となってしまい、申し訳なさもあったため、名古屋の地でその方の会社を手伝ったんですね。その際に別会社で伊勢海老の輸入卸のビジネスを始めたんですよ。」

 彼とその仲間4人で始めた卸商売の仕入先がインドネシアであった。ところが仕入れが上手くいかないから誰か一人がインドネシアに行かなければいけないことに。

「当時、所帯を持っていなかったのは私だけでしたから、そのままの流れでいくことに。今から13年前ですからね。インターネットなんていってもまだ日本でも流行り始める少し前ですよ。私自身、パソコンはよく触りましたが、インターネットなんて日本で使ったことなかったですから、バリの地で初めてセッティングしました。ほとんどメールしかしませんでしたが。携帯電話も大きいものを持っていきましたよ。」

 そんな形で入ってきたインドネシアは南国の土地バリ。上野氏はここから13年間バリの地で過ごすことになる。バリはもちろんのこと、買い付け、調査のために国内中を歩き回ることに。

「本当に色々な土地に行きました。そんなときですよ、国を揺るがす通貨危機が襲ったのは。為替損益で会社は大損害となりました。私は会社から手を引き、しばらくこのバリの地でのんびりとしていました。」

 その後、バリに残ることになったきっかけでもあったのが、日本食レストランのオーナーとの出会いであった。

日本食レストランとの出会い
 上野氏の好きなもの、それはなんといっても日本食。当時家から近かったこの日本食屋には足繁く通ったという。そんな折からオーナーとはよく会話をしたという。

「オーナーが3号店を出したいから店長として、どうだといわれました。私自身、昔料理屋で働いていましたから飲食屋は嫌いではないですし、お世話になった恩もあり店長を引き受けました。これが大盛況になるんですね。食べ放題のお店だったのですが、連日観光客の団体様がやってきて。最初は奥ばった地だし難しいかなとも思いましたが、団体を取り込めたことが功をそうしましたね。そのこともあり、4,5,6号店の企画立ち上げも担当していました。」

バリで立ち上げた会社は便利屋さん
 約2年半関わったレストランを後にした上野氏は、便利屋として諸業務代行業の会社を設立し、買付けや貨物輸送の代行を始めた。
「レストランのオーナーからは、子供もできたんだし、そろそろ自分の商売をしろよといわれました。確かに、そうだなと。さて何をしようと考えたときに以前から行っていた買い付け業でした。知人からの依頼にこたえていたものがそのままビジネスになった形ですね。レストランのオーナーも利用してくださったこともあり、順調です。」

居酒屋「上野」は家族で運営
「買い付け業とは並行に、ジンバランの地で友人達とシーフードレストランを始めたんですよ。これがTV、雑誌が来などの大繁盛。お店自体は、借地契約の終了と共に閉店させたのですが、その経験も活かして家族で始めたのが居酒屋「上野」でした。当時デンパサールという地には、日本食店がなかったものでしたから、作ったら流行るかなと。私が出資し家族が運営管理する形で始めました。
 実は、このお店、出したとたんに日本の大食い選手権の候補地に選ばれたものですから、その後は大盛況。おかげさまで最近2号店をクタの地に出すことができました。是非、豚バラ肉は食べに来てください。」

後悔して死にたくはないですね、楽しく死にたいです。
 彼自身は、ここまで見てきてわかるようにとにかく新しいもの好き。誰もやったことのないことに挑戦することが好きでたまらないように見える。

「そうですね、後悔だけはしたくはないですね、楽しく死にたいです。だから、やりたいことやチャンスがあればトライしたいです。私、覚えたいことは覚えられるんですけど、興味のないことには全く取り組めないんですよ。言語もその一つで気がつけば6各語話すことができるようになりました。インドネシア語だけでなくバリ語もいけますよ。やはりビジネスですから。現地の言葉もわからないと。」

日本で働く人たちへのメッセージ
 「昔、某大手証券会社がつぶれるニュースを見たんですよね。その際に社員が言っていて思わず、えっ!?って思ったことが

『経営陣に騙されました』

という台詞。会社IRなどから、売り上げに対して自分の給与が異常なぐらい高ければ、収支が危ないのではないかといった、考えるという危機管理力が低いように感じます。これはもちろん日本だけということはないですが、これからの日本を支える若い人には特に身に着けてほしいと思います。そういった意味で海外に一度出てみることは、非常に有効だと思いますよ。」

 PCソフトのライセンス販売、コンビニ業界への進出、まぐろの買い付け、便利屋、レストラン経営・・・と、数多くの事業を手がけた上野氏。彼の目に次に映るものが、筆者自身楽しみで仕方がない。

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