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退路なし!50代、元塾長&元不動産経営者バリへの挑戦!

「人生は80年。半分過ぎたら新しいことに挑戦する!これは昔から自分の中で決めていました。」
PT.JAPAN-ORIC NIRWANA BALI 八重氏
 そう話すのは、意を決して会社を処分して、1年前から南国の地バリ島にやってきた「Japan Oric Bali」のオーガナイザー的存在の八重氏53歳。

 もちろん、南国の地にはリタイアメントでやってきたわけでも、遊びに来たわけでもなく、ビジネスをするためにやってきた。黒字経営の会社と日本の家を処分して退路を断ってまでこの地、バリにやってきたのは何のためなのか。

 物語は、過去に遡るにつれて彼の信念を浮き彫りにさせていく・・・

大学3年生から塾を経営
 時は遡ること、30年以上前。当時大学3年生だった八重さんは、時代のブームであったビジネスに名乗りを上げる。

「当時お受験ブームだったんですね。ですから、そのブームに乗っかって進学の学習塾を開いたら上手くいくかな、と。自分より年上の先生達を雇って小さな学習塾を始めたんですよ。」

 学生時代の塾の運営は順調に進む。大学と塾の運営。二足のわらじを履きながら、学生時代を過ごす。そんな中、4年生時には就職活動もしてみた。

「就職活動はしてみたんですよ。やはり塾では安定した生活ができるのかもわかりませんでしたから。ところが、自分の塾の収入が当時で大学新卒の初任給の2倍そこそこでした。お金も必要だったのでやはり、このまま塾の運営を続けようと。」

 その後も、塾は順調に成長していく。自身も教卓に立ち、講義を行いながら、その裏では進学説明会や元学校長を呼んでの保護者会を行っていた。

そして、20年に及ぶ塾経営の後、塾長と呼ばれていた八重氏は、転換期を迎えることになる。

人生は80年。40歳での決断
J-oric 八重氏
「人生は80年。半分過ぎたら新しいことに挑戦する!これは昔から自分の中で決めていました。ですから、塾の運営は40歳になった時点で、他の方に譲渡しました。」

 実にすがすがしく語る八重氏の表情に筆者には、疑問が残る。それは何故そんなに簡単に手放すつもりになったのか。つまり会長職のような形で残らなかったのは何故であろうかと。

「私は、新しいことに挑戦するときは、退路を断って取り組む性格なんですよ。新しい挑戦が失敗しても帰ってくる場所があるのでは、未練が残って本気になれないんです。ですから塾とは今は何の関与もないんですよ。塾長と今言われると、とっても恥ずかしいです。勘弁してください。(笑)」

では、そんな彼が一体次に何を選んだのか? 40歳の彼が取り組んだ全く新しい境地、それが不動産であった。

40歳で初のサラリーマン。
 取材を始めたとき最初に出てきた会話はこのような出だしだった。

「今でこそ不動産やってますが、実はね、私サラリーマンを始めてやったのが40歳なんですよ。その前は塾を経営してましたから。」

 塾の経営権を手放した彼が、次に選んだ挑戦の場、それが不動産である。塾長から不動産、何の接点もない業種を選んだ理由は非常に明快であった。

「私が新しいビジネスを探す際のポイントは2つ。【隙間産業】か【叩かれている産業】かのどちらかに取り組むということ。どちらもチャンスがあるからです。ところが隙間というのは人がやらなかったことを探すわけですから、なかなか難しい。そうなると後者なわけです。
 当時叩かれている業界といえば、バブル崩壊後の不動産会社。正面から戦えるこの業界なら自分の力が発揮できるのではと思いました。ですから、この業界が特別に好きだといった気持ちはありませんでした。しかも。何しろ営業が全くの素人の私です。このまま会社を興しても不動産のこと、営業のこと全くわからないわけですから、うまくいくはずがないと思いましたね。そこで、サラリーマンとして大阪の不動産会社に入社しました。」

 こうして彼の第二の人生は不動産業界となったのであるが、後悔はなかったのであろうか。

「会社は軍隊のようなところでしたよ(笑)。朝会社に行くとね、社歌を歌うんですよ。塾はアットホームでしたから、このギャップには驚きましたね。辞めて行く人間も、もちろんいましたよ。毎月人が入れ替わるわけですから。ところが、この会社が楽しくてのめりこんでいったんですね。ですから全く後悔なんてしていませんよ。」

人生の師との出会い
 40歳からの挑戦で、彼は生まれて初めてかけがえのないものを見つける。

「私ね、40歳になるまで、この人凄いなという人が側にいたことがなかったんですよ。ところが、この会社の社長はとにかく違った。とても厳しい方なんですがとにかく営業力をはじめ何から何まで尊敬できる方でした。この人から営業のイロハから、不動産会社を経営していくまでのイロハを教えてもらいたくて頑張りましたね。
 4年半後、私は独立するのですが、その後も、その社長を中心に『五人会』と称して現在でもお付き合いさせていただいています。私が何かするときには必ずこの五人会のメンバーには相談しますね。」

さて、実際に不動産業界に入ってみて、どんなイメージを持ったのであろうか。

「不動産業界にはまっていった理由は、2つですね。一つは先ほどの社長ですね。普段は親父と呼んでいますが、彼の魅力は大きかったです。もう一つは、不動産ですからもちろん住宅を扱うのですが、その人の大切な家のお世話、お手伝いができるというのは素晴らしいなと。その人の一生に関わる仕事ですから、一つ一つの仕事に誇りと責任が持てる、こんないい仕事はないと思いました。」

バリへの挑戦
PT.JAPAN-ORIC NIRWANA BALI
 人生で初めて師を見つけた会社を後に、6年間にわたって経営してきた自身の不動産会社は、その後、彼の手から離れることになる。そう、それこそが外国はバリへの挑戦のためだった。

「バリは元々好きで20回ぐらい来ていました。ただそれはビジネスとは関係なく、この土地が好きだったということ。この場所を選んだ理由とは直接繋がりません。いくつかアジアの地で調査した結果、治安や物価や土地の価格、日本人の数、そして不動産でのトラブルが多いと聞いていたので、ここにしました。」

 この不動産でのトラブルというのは実際、バリでは後を絶たない。リタイアメント先をバリにする日本人が増えてきているが、そういった人たちは、ほとんど情報も人脈ももたずにやってくるからターゲットにされるケースが非常に多いという。

「皆さん、知らないことが多いんですよ。例えば、バリでは現地人の名義でないと不動産を買えないという情報があるのですが、それは実はそんなことはなくて、今では日本人の名義でも買えます。
 法律もよく変わりますから、一体いつの情報を持っているかによっても変わってきます。現状を知らなくても過去の情報を元にアドバイスされるケースが本当に多いんですよ。ですから、仲良くなったガイドやドライバーに名義を借りて、後日トラブルになるケースが後を絶ちません。日本人に騙されるケースもありますよ。本人は悪気はなくて善意のつもりでいっているのですが、自身の知っている情報が実は古くて、それを鵜呑みにした人が後でトラブルに巻き込まれるなど。確かに5年、10年と住んでいる日本人から聞けば間違っているはずはないと思いますよね。
 しかし、日本でも同じ事がいえるのですが、その地に10年間住んでいるからといって不動産取引や不動産の法律に詳しいですか?そんな事ないですよね。不動産のプロに相談されますよね。しかも、ここは外国ですよ。日本の考えは通用しないと思った方が良いです。
この地は、極端な言い方をすれば不動産の取引のレベルは4~50年前の日本のような感覚です。」

 こちらに来てから苦労したことはあるのであろうか。

「日本人の方が、日本と何でも同じだと思っている方が多い点です。例えば、情報アドバイスに対する料金などがそれに当たります。日本では、不動産会社は司法書士の先生としっかりとタッグを組んでいますから、質問に行った際に無料で相談できるケースが多いんですよね。ところがここはバリですからそういうわけにもいかない。そうなると、日本では無料なのに、なんでここでは有料なんだ、といわれるケースがあります。当然、言葉もわからないので当社で通訳をするのですね。怒ってお金も払わずに帰られる方もいますよ。日本人が多いとはいえ、ご自身が外国に住んでいるという意識が低いことにはそれだけ、危険も多いのではと感じます。」

 さて、日本から突然飛び出したわけなので、もちろん最初反対されたという。特に親しい間柄の5人会のメンバーは絶対的な仲間であるから彼らを説得しないことには始まらない。

「親父からは『何を考えているのだ!』といわれましたね。ただそんな中でも同じような考えを持った仲間はいて、それは正しいと言ってくれるんですよね。言われると熱くなるんですよ。最終的には仲間にもわかってもらえましたし、早く仲間の人たちをご招待できるようになれば嬉しいですね。」

外国に飛び出した理由
PT.JAPAN-ORIC NIRWANA BALI(PT.JAPAN-ORIC BALI)
 読者の中には、そろそろ彼が日本を飛び出した訳に興味があるものもいるのではないだろうか。筆者としては、この考え方に賛同すると共に、彼からこれから日本を担う若者に向けてのメッセージで当記事を締めたいと思う。

「私が外国に向けて飛び出した理由は、自身が考えていた日本の良くないシナリオが予想以上に早かったことにあります。1000兆円以上の借金を抱えて、一部の特権階級にとって都合の良い日本。このまま日本にいては10年後、20年後は全く見えてきませんね。そこで、天秤にかけてみたんですね。今からますます住みにくくなる日本と、まだまだ法整備ができていないけど、ビジネスチャンスの多い外国とどちらが良いか?を。
 とはいえ、海外でビジネスを始めるのですから、こちらも全力投球する決意できています。日本の家も会社も売却しています。国外退去にならない限り、こちらで永住する覚悟できています。自分が逃げる場所を作りたくないですから。
 今後益々増えてくる海外ロングスティ、移住、海外ビジネス展開のお手伝いが出来、そのような方々が困ったときにいつでも相談できるポジションを築いていきたいですね。ですから、不動産取引を始め、会社運営のお手伝いをさせていただくビジネス等のお世話をさせて頂いております。」

「若い方へのメッセージですが、外国に行って外から日本を是非見てほしいと思います。良悪を見て、聞いて、知った上でどうするかを判断してから仕事を始めても遅くはないと思います。どの道を選ぼうとも全て、自己責任です。10年後の日本・世界を見極めてがんばっていただければと思います。」

 そう話すと、隣にいた現地人パートナーであり社長であるRIKI氏と共に嬉しそうに目を合わせていた。

 バリに来て一年。会社を立ち上げて半年、まだまだこれから本格的に動き出すことになる。

 元塾長で、40歳サラリーマン、元不動産経営者とユニークな人生を歩む八重氏。信頼できるパートナー、ネットワークと共に、青い空、白い砂浜を背景に今日も走り回っているにことであろう。


八重浩一
塾経営、不動産経営を経て、現在バリにてPT.JAPAN-ORIC NIRWANA BALI   (PT.JAPAN-ORIC BALI)を現地社長と共に設立。
日本人の顧客を中心に不動産の仲介、コンサルタントを行う。

PT.JAPAN-ORIC NIRWANA BALI
http://japan-oric.jp/index.php

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