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夫婦共にうつ病からの経験から共有コミュニティの設立 うつの家族の会・みなと代表 砂田くにえさん

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砂田くにえ_対談
 「毎回鎌倉に行くたびに通りかかるお店が、なんだかとても魅力的でいつしか、その店のオーナーと一緒に話すのが私の楽しみの一つだったんです。」
 そう話すのは、うつの家族の会・みなと代表の砂田くにえさんだ。彼女は現在、精神疾患の一つである「うつ」の家族に関するコミュニティを横浜に展開している。そもそも彼女がこの団体を立ち上げるきっかけにもなったのは2つあった。

病院にいったら、軽度のうつ病ですと言われたのです。

 
 「当時好きだったインテリアの仕事をしていたのですが、父親の病を機に退職して看病にあたったんですね。」
 砂田さんは、24歳の時に母親を亡くしている。以来父親と二人で生活していた。そんな父親も彼女が36歳の時に、病で倒れたのだった。
 「母と お昼に電話すると約束していたのですが、忙しくてかけられなかったのです。母はその日の夜に突然なくなって、その時から父の最期は私が看る、と決めてました。
父が嚥下障害から肺炎になり、意識不明で一ヶ月間いる間に、「最愛の家族を看取る法」と言う本を読み、最期の日を覚悟していましたが、 夜中の2時にその時はやって来ました。その瞬間、頭が真っ白になったのですが、しっかりしなければと思い 喪主を務め、四十九日までしっかり行いました。父は会社員で、亡くなる間際まで役員をしていたのですが、この時参列してくださった多くの方を見て、本当にたくさんの仲間、友人がいたということをそのとき知りました。」

 砂田さんはお葬式が終わった後から体が重くて仕方なく、それでも両親がいないのだからしっかり働らかければ、と焦るばかりで どうしても体が言う事を聞かず、
どうにかして 仕事に戻ろうと、いくつかメンタル関係のセミナーに行った。

 「あるセミナーに行って、そこはペーパー回答式で精神状態を見て受講に問題ないか判断してから行うのですが、カウンセラーの方から帰ってきた言葉は、『急いで病院にいったほうがいい』というものでした。」

 病院に砂田さんが行くと、医者から帰ってきた返事は、「中度のうつ病」だった。
うつ病とは、大きく言えば、抑うつ気分や不安・焦燥、精神活動の低下、食欲低下、不眠症などを特徴とする精神疾患を意味する。

 「恐らく父の死から状態が安定していなかったのでしょうね。私自身はテレビの前に座って立ち上がろうとしたら、全く立てないようなことはありましたが、普段人と接している際はなんともなかったので。カラ元気とでも言うのでしょうか。とにかくお医者さんに言われるまでは、まさか自分が病気だなんて思いませんでしたし、自分が怠けて仕事が出来ないのではなくて、働けないのは病気のせいだった、と判ったら、凄く気分が軽くなったのをはっきり今でも覚えています。」

 しかし、うつの状態が回復するには、およそ 5年の歳月を必要とすることになる。

街角の陶器屋のオーナーとの出会い

砂田くにえ_対談
 「子どもの頃、大人の雑誌をこっそり見るのって楽しいじゃないですか。私が見ていたのは婦人雑誌。その中に優雅なサロンを開いている記事があって、いつかこんなものを作りたいなと。鎌倉のお店は、店こそ和食器のお店でしたが、入ってくる人たちが仲良くなれる、まさに私が子どもの頃思っていたサロンに近いものでした。」

 彼女がうつ病になる少し前から、陶器屋に足しげく通うようになる。それは、子どもの頃に理想としていたサロンに近いものがあり、また、オーナーの女性がとても親しみやすかったからだ。

 「恐らく、オーナーの魅力なのでしょうね。とにかく彼女のそばにいると落ち着きました。病気になる前から通っていたので、今では10年以上のお付き合いになります。昼の一時に行くと、そのまま居座って、気がつけば閉店の19時に。そうするとオーナーもお一人だから、一緒にご飯を食べに行ったりしました。まるで娘のようにかわいがってもらいましたね。」

 後に、この出会いで憧れとなったサロンは、自身も将来サロンを持ちたいという思いに変っていく。
 

旦那との出会い、そして旦那もまたうつに・・・

 「状態を見た瞬間、これはもしかしたら、と思い、病院に連れて行きました。」

 砂田さんはうつ病を患っている時に、ご主人、康雄さんを友人に紹介してもらい交際を始める。病気とはいえ、対外的には、彼女の場合あまり問題なく人と接することができるため、彼も理解した上で付き合うことに。交際は順調であったが、結婚して1年目の冬、予想もしない事態が発生する。

 「旦那の会社が倒産したのです。彼はその後始末をするために、四六時中働くことに。そんなある日、突然、私と同様にテレビの前から彼が立ち上がれなくなりました。これは、まさか、うつの症状がでているのでは、と感じ、急いで病院に連れて行きました。」

 結果は、うつ病。この瞬間、砂田家は夫婦共に精神病を患うという状態に陥ってしまっう。

 「正直、愕然としましたね。もちろんお金の心配もありましたが、それ以上に私が経験しているのとは、彼は明らかに雰囲気が違うのですから。何をするにもやる気がないし、衰弱しきっている様子。同じうつ病でも、こうも違うのかという気持ちでした。」

 ここから、砂田夫妻の闘病生活が始まる。そんな折、やはり夫の看病に疲れて行きたかったのは、あのサロンであった。 だが、残念な事に 源かまくらは既にお店を閉じていた。

みなとの立上

 「私自身が看病する立場になって初めて思ったんです。長期化すると家族も本当に将来への不安などで疲れています。家族もまた、相談しあう場、共感しあう場、そして 自分自身のためだけの場所と時間が必要だなと。家族をサポートしてくれるような会があったらどれほど救われるだろうかと。」

 周りからの後押しもあり、2006年春、砂田さんは「うつの家族の会・ハートビート」を立ち上げる。

 専門家を招いてのうつ治療の基礎知識を学んだり、患者への接し方や家族自身のストレスの対処法について 交流するコミュニティで、家族を対象に月に一回、悩みを共有しあってきた。
 
 「今までは、会場を借りて開催していましたが、やはり将来的には夢だったサロンを持ちたいですね。来たいときにいつでも来られる、そんな場を提供できたらと思います。 そしてそこが情報発信基地となって、 ご家族自身や、 社会に向けて情報やメッセージを発信して行きたいと思っています。 でも会を開いてから気が付いた事があります。
ご家族は 回復中の本人に代わって忙しく働き、そして本人をケアし、会に来たくても来られない人が多い、っていう事です。 それで どうしたらいいか?と考えてみて、
HP上に、サロン・みなとを開く、そして そのサイトにさえ行けば、情報が得られて、
仲間にも会える、 そんなHPを目指して準備をしているところです。 
みなとは、「with:みんなと」から来ています。 家族だけで悩まないで、皆で支えあいましょう、と言う気持ちを込めています。

 子どもの頃からの思い、そして夫婦での闘病生活の経験が彼女の推進力となって、今日も悩みを抱える人たちと共に彼女は一歩一歩前へ進む。

砂田くにえ_対談

【プロフィール】
すなだ・くにえ 昭和35年、横浜市生まれ。
大妻女子大短期大学部を卒業後、鉄鋼メーカーなどに勤務。
平成18年、鬱病患者を支える家族が交流し情報交換し合える場「うつの家族の会・ハートビート」を設立した。

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